永代経法要29.4.30

今日は5月3日、連休の真っ只中です。
4月30日は明福寺の永代経法要でした。
有難いことに真っ青な青空です。
前日から、会場の準備、お斎の調理にと二日間にわたって多くの方々のお手伝いを頂きました。
またお参りいただいた皆様ありがとうございました。
法要にお参りいただいたお寺様ありがとうございました。

今年のご法話は港区芝の大谷派のお寺、了善寺のご住職百々海真師のお話でした。
講題は「仏の教えは家に在り」でした。

永代経のご案内に
「永代経法要とは、亡き人を縁として、故人を追慕するとともに阿弥陀如来の教えが、子々孫々にまで伝えられるように、という願いをもって行われる法要です。
つまり、私が念仏を申すことを願われた法要です。」
百々海先生は、お話を聞かせていただいて、あまりの説得力に衝撃を受けましたと副住職が書いています。

さてどんなお話だったでしょう、確かに説得されました。
しっかり書くことができないのが残念です。
確かにこのお寺の中に、この家族の中に仏の教えがあると思いました。
振り返ってみたら、もろもろの家庭の諸事の中に、あそこにもここにも教えがあります。
私は毎日毎日その中で暮らしているのですね。

お話の最初に、百々海先生は暁烏敏氏の父上、暁烏依念師の言葉を紹介されました。
短い法話と表現されたのが次の言葉です。
とても心に残りましたので百々海先生に書いていただきました。
「弥陀をたのめば仏に成る さても尊や 南無阿弥陀仏」
いろいろ言わなくても、「弥陀をたのめば仏に成る さても尊や 南無阿弥陀仏」
この中にすべてがあるような気がします。

この言葉を胸にしまっておきたいと思いました。

春らんまん

4月21日、来週は永代経法要だ。

早い早い、年を重ねると、余計にそう感じるようだ。

お寺の庭にも2本の山桜、八重桜が1本。近所のさくらより遅れて、八重桜は今が満開だ。
あまり天気も良く、青空に薄紅色の八重桜は本当に美しい。
そんな時は、玄関の腰掛に、座ってお茶を飲んだり、パンとコーヒーのお昼にしたり、外に出かけなくてもひっそりとお花見ができる。
元々お寺には御衣黄桜というのか、薄緑の桜の木があった。
この花は中々近所では見かけることがなく、新宿御苑にでもいかないとお目にかかれない。

今年も一度見たいなあと思いつつ、なかなかそうならない。

今朝そうか、今年見れなかったら来年見る等という保証はどこにもないということに気づいた。
それが年を取るということかも。
実家の母が珍しいところに一緒に行ったりすると、「私ももうここに来ることはないだろう」などと言っていたことを思い出しました。ようやくその年になってわかりました。「老人が若いものにはその年にならないと、年寄の気持ちはわからない」というのは正しいと思いました。同年代の皆さんはそう感じることはありませんか。

お彼岸 2017、3,17

お彼岸のいり、朝住職とお参りをしました。

お彼岸の支度もでき、これから1週間のお彼岸の始まりです。

この頃朝起きると、一番下の孫が私たちの部屋に来てくれます。
お仏飯を盛っているときから、「これなあに」、と聞いてきます。
「これはねえ、ナマナマさんのご飯だよ。」
「ヘエー」
お内仏の小さな仏飯を小さな手でお供えしてくれました。

ご本堂に行ってお勤めをしてお参りをするところにも、一緒に来て数珠を手に椅子に座って小さな手を合わせていました。
もっとも途中でミッキーマウスを連れてきてましたが。

一緒に本堂でお参りをしていたら、ふと来年の春のお彼岸はどうかなあと思いました。

段々年を取ってくると、来年のことは自分がわからなくなってきました。

それだけに今朝、このような時間を持てたことはとてもうれしいことでした。

孫も1年たったら3歳になってもうすぐ幼稚園の頃なので、彼女も大きく変わっているでしょう。

さて、お彼岸1日目はお天気も良く、お墓参りも方もたくさん見えました。

半年ぶりでお会いしてお話する方々は、それぞれにいろんな変化があることがわかります。
楽しい話、最近の自分のこと、体の調子、突然起こった大変なこと。

皆さんは前向きにそれぞれ生活しておられることを感じます。

お寺にいて、皆さんのお話を聞いて、私自身も励まされることが多いです。

お彼岸の中日には法要が勤まり、恒例のテントでの模擬店もあります。

お勤め、ご法話、バイオリン演奏会があります。どうぞお参りください。

啓蟄 けいちつ

3月のひな祭りも済みました。
今日は春を感じて虫たちも目を覚ます頃。
ようやく暖かくなったかなと思うと朝夕は風が冷たい。
昨日は明福寺が所属している、真宗大谷派東京教区東京5組の聞法会がありました。同朋会と言います。
赤坂の報土寺でご住職のお話をお聞きしました。

テーマとして「いのちの声を聞く」ということが掲げられています。

80歳になられた住職はご自分の経験から、いのちというものについて話されました。

その後、班別に分かれての座談がありました。
年配の参加者が多いので、いのちについてそれぞれの思いを話されました。

順番が来て、さて私は「いのちの声を聞く」と言ったら何を聞いているのかと思いました。

一番に思ったことは、毎日いのちの声を聞いているなあ。

それは毎日私自身が私について思うこと、自分のいのちの声。
そして一緒に暮らしている家族のいのちの声も聞いています。
ご門徒さんのいのちの声も聞こえてきます。
広くいったら、ニュース伝わってくるさまざまないのちの声もあります。

その中で泳いでいるか、ぷかぷか浮いているか、またあまりの荷の重さに沈みそうになってみたり。

この世でいきているかぎりいろんな命に囲まれ影響を受けています。

我が家でいちばん若い命、3番目の孫は、この頃よくじいじ、ばあばの部屋に遊びに来ます。
2歳を過ぎたら急にお話も上手、歌まで歌って驚かせてくれます。
今朝はテレビの影響でしょうか突然、アナと雪の女王の歌を得意げに歌ってくれました。

先日は「これでいいか」というのでなんだか急に男の子っぽいなと思っていたら、ばあばが彼女にコートをきせたり、大好きなヨーグルトを食べたがるとき「これでいいか」と言っていることに気づきました。
それで、自分で靴を履いたりするとき「これでいいか」と私に聞いているのでした。
気をつけなくてはいけません。

2月は逃げる

お正月はあっという間に過ぎました。
さて、2月も早や19日です。
二月は逃げるとも聞きました。
その通りですね。

門の前の梅もちらほらと咲き、今日の朝、青空に日差し、北風の中に黄色い水仙が一輪咲いていました。
孫たちも上は4年生、3年生になり、2人は今年小学1年生になり、それぞれに3月には卒園式。
自分は若いつもりでも私の2人の子供?は40前ということですから年を取るのは当たり前なんですね。

昨日、お寺で聞法会、土曜法話がありました。
ご本堂で正信偈のお勤めをしてから、法話があります。

立ったり座ったりして落ち着きません。
もう一度聞きたいと思いますが、往生と成仏というお話でした。

往生は死んでからなのか、死後に往生するのか。
いや今生きているときに往生が定まるのか。
大谷派の見解は生きている現在に往生できるということのようですが。
さて自分が往生したということをいつ体感できるのでしょうか。

死んで何も苦しいことがない、ある意味自分に都合の良い夢のような極楽に行けるかも、そのためには仏さまをお参りして先祖の供養をするその道はわかりやすいですがどうも納得できない、信じられない。

人間死んだらゴミになるといった裁判官?がいましたがまあ肉体は滅びて骨と灰になるのですが、さてそのあとどうなるか全くわからないです。
わからないですが、釈迦が説かれたという諸行無常という言葉にひかれます。

すべてゆれ動いて常ではない。
今という時間を選び、生きていくということかなどと思うのです。

お寺に暮らしていながら、真剣さが足りなくて、このまま時間を無駄にしたくはないと思うのですが・・・・。

家族や門徒の皆さん、回りの人の言葉に一喜一憂してこの年になっても落ち付かない自分です。
いつも平常心を持って、安定した気持ちで毎日を過ごしたいと思います。