千手観音菩薩

私の目の前に

「仁和寺と御室派のみほとけ」
千の手をもつ、
ただひとつの観音さま。
国宝「千手観音菩薩坐像」、
東京へお出ましです。

という大きなカラーの新聞紙大の大きな広告がはってある。

これは東京国立博物で開催されている展覧会の広告だ。
住職はさっそく出かけてみてきた。
余りの大きさと、どこかひかれるものがあるから広告を板の戸に張ってみた。

密教の仏様はなんとなく苦手だ。
葛井寺(ふじいでら)の本堂の様子を再現しているらしい。

仏像の回りに千本の手があり、然も其手の先には目が付いているらしい。
仏様からも見られているのか。

この仏像がこんなに長い間大事に信仰され、今の東京で多くの人が見ているのだ。

ちょっとした疑問というか思うことがあった。

千本の手についている様々な薬つぼや鐘や道具類仏さまに病気のことや、困りごと、願い事いろいろなことを千本の手によって解消してもらいたいと頼むのだろうか。それはお願いしたら叶うのだろうか。

阿弥陀様の教えは自分自身のことを別の自分の目で見ていくことかと思っているのだが。
大きく仏教、お釈迦様の教えというくくりの中に浄土真宗も真言宗も曹洞宗もある。
絶対の信頼を寄せてお願いする、人には出来ないような修行をした人が尊敬されると思われる教えと、あなたの問題ですよといわれるのが、同じ仏教といわれるのがちょっと疑問。

実際私も頼みたくなる。自分の努力では解決しがたいことはどうぞ仏様お願いします、とお任せしたくなり、お任せの逆方向は他力の働きか?
考え足りず行き止まりになってしまいました。
これを書きながら仏像を見ていると、心が静まってくるのは何でしょう。

流行り最先端

最先端には最も距離のある人間だ。
回りを見て、なんとなく動くという臆病者。
今回だけは、最先端の舞台に上ってしまった。

そんな大上段に言うこともないが、インフルエンザにかかりました。

1月の31日から具合が悪く、医者に行くとインフルエンザのBと診断。熱はせいぜい38度だが胸が痛い。
もしかして肺炎かなど悪い方に考えてしまう。
年をとったらかからないとか一応予防注射してるしなどのんきなことは言ってられない
.結局10日ほどぐずぐずしている。
とにかく具合が悪い。寝てもいられないような、テレビや音楽を聴くことも嫌、いわゆる身の置きどころがない。
直りが悪いのは70になったせいか。ほとほと嫌になった。

熱が下がっても椅子に座って日向ぼっこをして何もしない。
絵本に出てくるおばあさん見たいになっている。
なるほどおばあさんが日がなぼっとして日向ぼっこをするというのは自然なことなんだと妙に納得。

免疫が下がっているから人込みを避ける。無理をしないと医者にもいわれ、暖かい春の日ざしが待ち遠しい。
幸い家族には移っていないのがありがたいことだ。
食事は進まないし、お風呂も中々。
健康のありがたみがよくわかりました。

偶然、いや必然

先日友人のお寺のお琴のひき初めを聞く機会に恵まれた。

明福寺でも法要の際に、ご門徒の方の縁で筝曲演奏を何回かさせていただいたことがあった。
然しゆっくり聞く状況でもなかったので初体験のようなものである。
お琴に触ったこともない。まったくご縁が無い楽器だ。

聴衆は、ひき初め出演の先生方が交代で、で尺八の演奏と共に、題名にふさわしいそれぞれの美しく、迫力のあるものであった。まったくの聞き手は、私だけというもったいないような演奏会である。

さて本題はそこでお会いした婦人のことである。

会場となったお寺の坊守さんの紹介で
「中根さん、この人も盛岡出身よ」ということから、休憩時間に隣の席でお話する機会に恵まれた。

どちらにお住まいですかということから、どんどん話が広がる、驚いてしまった。

Kさんの実家は盛岡中心地で古くからの商家で、そこの娘であった。
盛岡人ならだれでも知っているお店。
私の実家も大谷派の寺であるので大抵の人が名前くらいは知っている。
kさんの実家のお寺もすぐ近くでしょっちゅう前を通るところである。

さらに同じ高校の出身。
私の旧姓の松見という苗字は盛岡に何軒あるのかと聞かれるので、私の叔父の家と2軒しかないと答えると、幼い頃叔父の家を訪ねたこともあり叔母の遠い縁戚に当たるという。

さらにおまけのような話だが、私が数年仕事をしていた事務所が入っていた放送局で、バイトをしていたことがあるという。
共通の知人も多くいた。

私が、この日の琴の会に誘ってもらったこと、当日出られる状況であったこと、また二人が盛岡出身だと知って紹介してくれたこと。

この一つの偶然が一つでも欠けていたらこの出会いはなかった。
周りで様子を見ていた人たちも「聞いてるだけで面白い」と驚いていた。
私もこの偶然の重なりに驚いている。

これが偶然なのかまたこれが必然となるのだろうか。

久しぶりに盛岡べんで話した。

懐かしい、私を育ててくれた故郷。



新しい年 平成30年

お正月も3日となり、今日は12日になりました。
元旦は早朝みんなでお勤めをして、孫たちも着物で,お雑煮を頂きます。

午後1時からは、ご門徒の皆さんとお正月のお勤め、修正会です。
皆さまと正信偈をお勤めしました。有難うございました。
例年よりも暮れ、正月のお寺詣り、お墓まいりの方々が多く見えたように思います。
墓地はお正月のお花松や千両がきれいです。

さて恒例の箱根駅伝が二日三日とありました。
二日は本堂でのお参りと同時間なのでヘリコプターの音を聞いて、お雑煮を食べながらテレビ観戦しています。
往路東洋大学優勝。
次の日は青空の芦ノ湖、富士山の元スタート。
横浜を過ぎたところ家を出て高輪郵便局あたりで応援しました。
ついたらすぐ青山学院が一番で走りすぎました。
その後は順次、車を止めているのでずっと遠くまで見通すことができるので、みな体を乗り出してみています。

来るなとわかるサインがあるのです。
まず遠くで旗が揺れ始めます。そして向かいのビルにわあーという歓声が響いてきます。そして選手の姿が見えてきます。大きな声がビルにぶつかって無人の国道に響いてきます。それも箱根駅伝らしい感じです。

アッという間に1月も半分過ぎました。孫たちも学校が始まり連日、大きな書道の道具やら、音楽の道具やら大きな荷物を持って元気に学校いきます。
12月の31日には年末の慌ただしさで今日中にすべてやらなくては、そういう時間の壁があるのですが、除夜の鐘をテレビで聞いた途端に、やり残しがあっても一気に壁を乗り越えるというか壁が崩れる感じがあるのはとても不思議な気がします。

70年の間その壁を乗り越えてきたわけですね。
いろんなことがありました。
これからもいろんな年の暮れを過ごすのが楽しみです。

 去年今年貫く棒のごときもの 高浜虚子
 平凡を大切に生き去年今年 稲畑汀子

平成29年さようなら

毎年このころになると今年はどんな一年かと振り返るのが常だ。
さて私の一番のニュースは70歳になってよくここまで生きてきたというのが正直なところ。

そして急にいかにも70の体力になってきたことに気が付く。
なるほど年寄の言っていたことはこういうことであったのだ。

ところがである。
暮れのお墓詣りに来られた、Sさんはこんなことは微塵も感じさせない方である。
彼女はもう80歳を超しておられる。
ご家庭の事情でお孫さんを20年育てられた。
そのお孫さんが学校を終え、社会人となった。今年の4月のことだ。
そのことはわかっており、やっと安心した。けれどもその後体調が悪く、自宅で過ごされていた。
ある時思い立って働こうと思って、以前働いていたところに午前中パートの仕事に出た。
本来なら80の人を雇うところはないが、お話もしっかりしておられるので採用されてここしばらく働いているというのである。
疲れませんかと尋ねるといいえ、かえって調子がいいんです。というのである。

そしてさらに、依然やりたいと思っていた保育の勉強もしたという。
読書、本の好きな彼女は、さらに今後の目標は小説を書くことだという、そのための講座も受けてみ見るつもりだと話された。
玄関先でのお話でこんな事を知った。

恐れ入りました。
私は70になった。あああれもできないこれも無理無理そんなできないベクトルしか見つけられない。
こんな生き方もあるんだ、それは自分で決められる。
自分の生き方は自分しか決められない。

幸いに皆元気に年を越せそう。
後1時間半となった、平成29年12月31日。
何か新しい変化が明福寺にも、住職と私にも訪れる予感が・・・・・
今年も一年皆さんのお世話になりました。有難うございました。
新しい年がよい年となりますように!