お彼岸 2017、3,17

お彼岸のいり、朝住職とお参りをしました。

お彼岸の支度もでき、これから1週間のお彼岸の始まりです。

この頃朝起きると、一番下の孫が私たちの部屋に来てくれます。
お仏飯を盛っているときから、「これなあに」、と聞いてきます。
「これはねえ、ナマナマさんのご飯だよ。」
「ヘエー」
お内仏の小さな仏飯を小さな手でお供えしてくれました。

ご本堂に行ってお勤めをしてお参りをするところにも、一緒に来て数珠を手に椅子に座って小さな手を合わせていました。
もっとも途中でミッキーマウスを連れてきてましたが。

一緒に本堂でお参りをしていたら、ふと来年の春のお彼岸はどうかなあと思いました。

段々年を取ってくると、来年のことは自分がわからなくなってきました。

それだけに今朝、このような時間を持てたことはとてもうれしいことでした。

孫も1年たったら3歳になってもうすぐ幼稚園の頃なので、彼女も大きく変わっているでしょう。

さて、お彼岸1日目はお天気も良く、お墓参りも方もたくさん見えました。

半年ぶりでお会いしてお話する方々は、それぞれにいろんな変化があることがわかります。
楽しい話、最近の自分のこと、体の調子、突然起こった大変なこと。

皆さんは前向きにそれぞれ生活しておられることを感じます。

お寺にいて、皆さんのお話を聞いて、私自身も励まされることが多いです。

お彼岸の中日には法要が勤まり、恒例のテントでの模擬店もあります。

お勤め、ご法話、バイオリン演奏会があります。どうぞお参りください。

啓蟄 けいちつ

3月のひな祭りも済みました。
今日は春を感じて虫たちも目を覚ます頃。
ようやく暖かくなったかなと思うと朝夕は風が冷たい。
昨日は明福寺が所属している、真宗大谷派東京教区東京5組の聞法会がありました。同朋会と言います。
赤坂の報土寺でご住職のお話をお聞きしました。

テーマとして「いのちの声を聞く」ということが掲げられています。

80歳になられた住職はご自分の経験から、いのちというものについて話されました。

その後、班別に分かれての座談がありました。
年配の参加者が多いので、いのちについてそれぞれの思いを話されました。

順番が来て、さて私は「いのちの声を聞く」と言ったら何を聞いているのかと思いました。

一番に思ったことは、毎日いのちの声を聞いているなあ。

それは毎日私自身が私について思うこと、自分のいのちの声。
そして一緒に暮らしている家族のいのちの声も聞いています。
ご門徒さんのいのちの声も聞こえてきます。
広くいったら、ニュース伝わってくるさまざまないのちの声もあります。

その中で泳いでいるか、ぷかぷか浮いているか、またあまりの荷の重さに沈みそうになってみたり。

この世でいきているかぎりいろんな命に囲まれ影響を受けています。

我が家でいちばん若い命、3番目の孫は、この頃よくじいじ、ばあばの部屋に遊びに来ます。
2歳を過ぎたら急にお話も上手、歌まで歌って驚かせてくれます。
今朝はテレビの影響でしょうか突然、アナと雪の女王の歌を得意げに歌ってくれました。

先日は「これでいいか」というのでなんだか急に男の子っぽいなと思っていたら、ばあばが彼女にコートをきせたり、大好きなヨーグルトを食べたがるとき「これでいいか」と言っていることに気づきました。
それで、自分で靴を履いたりするとき「これでいいか」と私に聞いているのでした。
気をつけなくてはいけません。

2月は逃げる

お正月はあっという間に過ぎました。
さて、2月も早や19日です。
二月は逃げるとも聞きました。
その通りですね。

門の前の梅もちらほらと咲き、今日の朝、青空に日差し、北風の中に黄色い水仙が一輪咲いていました。
孫たちも上は4年生、3年生になり、2人は今年小学1年生になり、それぞれに3月には卒園式。
自分は若いつもりでも私の2人の子供?は40前ということですから年を取るのは当たり前なんですね。

昨日、お寺で聞法会、土曜法話がありました。
ご本堂で正信偈のお勤めをしてから、法話があります。

立ったり座ったりして落ち着きません。
もう一度聞きたいと思いますが、往生と成仏というお話でした。

往生は死んでからなのか、死後に往生するのか。
いや今生きているときに往生が定まるのか。
大谷派の見解は生きている現在に往生できるということのようですが。
さて自分が往生したということをいつ体感できるのでしょうか。

死んで何も苦しいことがない、ある意味自分に都合の良い夢のような極楽に行けるかも、そのためには仏さまをお参りして先祖の供養をするその道はわかりやすいですがどうも納得できない、信じられない。

人間死んだらゴミになるといった裁判官?がいましたがまあ肉体は滅びて骨と灰になるのですが、さてそのあとどうなるか全くわからないです。
わからないですが、釈迦が説かれたという諸行無常という言葉にひかれます。

すべてゆれ動いて常ではない。
今という時間を選び、生きていくということかなどと思うのです。

お寺に暮らしていながら、真剣さが足りなくて、このまま時間を無駄にしたくはないと思うのですが・・・・。

家族や門徒の皆さん、回りの人の言葉に一喜一憂してこの年になっても落ち付かない自分です。
いつも平常心を持って、安定した気持ちで毎日を過ごしたいと思います。

平成29年、今年もよろしくです。

平成29年初です。
新しい年となりました。今年もよろしくお願い致します。
今日1月20日です。大寒というだけあって急に寒くなりました。本堂のお花など生け変えていると指がかじかんできます。

例年の通りの年末、年始。
元旦には、早朝家族で本堂でお朝事のお勤めをします。
2+5+4=11人です。
孫たちには頑張って着物を着せています。動きにくいですが鮮やかな色合いのかわいい着物は、小さいながらもうれしそうにしています。

お昼過ぎからは修正会で
門徒さんとお勤めをしました。そのご懇親会になります。
毎年、朝からお手伝いに来て下さる方がたがいるので有難いことです。
お正月も以前はお寺として修正会もしておらず、ぽつぽつお墓参りの方が見えていたのです。
庫裡の建て替えの平成24年を機に何かしたいという住職と役員の方の気持ちが修正会と懇親会という形になりました。
門徒さんにお寺に親しみをもっていただきたいということでした。
20数年たちこのあたりで方向転換をしてもいいのかなあと坊守は感じています。
同じことを続けていくよりもちょっと方向を変えたらと模索中です。
来年からは簡素なものにしていきたいと思います。

さて、明日は門徒新年会です。
今日のちらついた雪が心配ですが、今年は、ご法話に高徳寺住職の新井義雄氏のお話「真宗門徒とは」という題でお話いただきます。

真宗門徒とは

真宗のお寺にお墓が代々あるから?
実家が真宗門徒だったから?
親鸞聖人の教えに興味があるから?
毎日の生活をしっかりおくりたいから?
死んだら極楽に行きたいから?
自分の生きている意味を考えたいから?
亡くなったご先祖のことを考えるから?

明日のお話をしっかりお聞きします。

本山での音楽法要


今年も後1週間になりました。
早いというお決まりの感想。
とはいえ長くもあり、そこには私の事情があります。
そうたいした事情ではありませんが、報恩講の後、2か月ですが出かけることも多くありました。
其の一つは京都の音楽法要に初めて参加させて頂いたことです。
歌うことは好きですが、楽譜を読んだりすることは苦手なのです。

東京教区でサンガナインという合唱団が発足し、そこに中根さんも歌おうよと誘ってもらい、早速案内のハガキが来て、まあ行こうか、お付き合いもあるしという消極的参加でした。
その練習に参加し、横の音を聞きながらのおぼつかないことですが、合唱の指導を受けるのも初めてに近く、こんな意識で頭の上の方から声を出す、歌詞の意味からどこを意識するなど、面白いのです。
その練習のおかげで京都・東本願寺での「真宗本廟両堂ご修復完了奉告法要、報恩講」での音楽法要に参加しました。
総勢100人の全国からの混声合唱団、合わせるのはわずか1日。緊張してご影堂に入ると、満堂で7000人のお参りと聞きました。
正信偈はみなさんでお勤めしますが、ご門首の出仕から表白、散華などすべてが音楽・合唱で進みました。
最後の回向の曲はお勤めの最後に読まれるものです。

願似此功徳
平等施一切
同発菩提心
往生安楽国
と聞きなれたものですが歌の場合は

 願わくは一切世界の人びとと
この出会いの喜びをみな平等に分かち合い
ともに仏になる心発して
阿弥陀みほとけの安楽国に生れ
生きてはたらく身とならん

という歌詞です。


お参りの方々もともに歌い、お堂の中がいっぱいになりました。
歌いながら、涙が止まりませんでした。
この歌詞の意味が心にいっぱいになりました。
親鸞聖人のご命日の法要が755回目になりますが、その教えが今まで継承され、今本願寺の中でお参りする中に自分もいることが不思議でもあり、今までの多くのご縁に感謝しました。
とても得難い経験でした。

興味のある方は東本願寺のホームページからその様子が動画で見ることができます。
寺に戻ってみながら思い出します。何しろ当日はまっすぐ前を向いて様子が見えませんでした。