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お寺の行事

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05 /14 2019
一段落しました。

お寺では2か月に一度位のサイクルで行事があります。
3月のお彼岸、4月の永代経、5月のお出かけ土曜法話。
皆さんに来ていただくのがうれしいです。

皆さんに来ていただくと、そのための準備が報われるという、内部のわたしだけの満足感かもしれません。

それぞれの行事には、歳時記的に日本の中で根付いているものもありますし、真宗大谷派のお寺として、長年明福寺で続いてきているもの。また住職の考えで教えを聞いていただきたいというものもあります。
最終的にお寺の行事法要にお参りいただいて、お寺を身近なものに感じてもらって、親鸞聖人の教えを聞いてもらいたい。ということだと思います。

以前の法要ではお茶会、お琴の演奏会、説教節などを行ってきたこともあります。現在も法要の折り、その後で落語会、門徒の方の演奏会などを行っています。

以前、お寺の住職、坊守の研修会の折り、明福寺ではこんな事を法要の前後に行っています、それは今までは来てなかった方々にすこしでもお寺に興味をもって頂きたいと思うから、と発言したことがありました。
するとあるご住職から、そんなことより、たとえ人数が少なくても教えを聞くというのが本筋なんだ。と指摘されました。

その通りでしょう。
でも皆さんに来てもらいたいというのが、前坊守の願いです。
自分の足元を見ながら、回りを観察しながら、自分は一体何をしたいのかと思います。

5月11日にはお出かけ土曜法話という企画でした。
浅草の通覚寺さんをお参りしてお話を聞き、浅草散策、懇親会というコース。
副住職稲垣和弘師のご法話をお聞きしました。講師の身近なお話から「いのちみな生きらるべし」(リルケ)というテーマでお話されました。
それぞれが持っている、なぜ自分だけ、どうして思うままに生きられないのか、そんな中でお寺の中で生きているものもそうでない者も同じ。
どうしていき方がこうだと思えないのか。
その時のレジメでいちばん心に残る言葉がありました。

いずれにも 行くべき道の絶えたれば 口割りたもう 南無阿弥陀仏 藤原正遠

私 どうしていいかわかりません、本堂でベットでただ南無阿弥陀仏
我が身、私につながる人達が可愛くて、自己中心が満ちていて、人と比べる自分がいて、こうじゃないでしょと言い聞かせても、困ったものです。

幸せのおすそ分け

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05 /07 2019
桜の時期も終わり、青葉が美しい頃となった。

寒さと、おっくうになったせいか、毎朝の散歩もとどこうり勝ちであったけれど、ようやく日の出も早くなったし、気温も良くなってきたので、ここしばらく朝の散歩ができている。
散歩といっても寺の前の坂を上り、上がったところにある、2つの公園のどちらかに行ってラジオ体操をしたり軽く体を動かし、公園内の木々を見ながら歩いたりしている。
その公園は港区のシルバー人材センターの人と思われる人たちが、2.3日おきにお掃除をしている。
時々顔を合わせるので、女性の方々とは季節の話をすることがある。

ある朝一通りの体操を終えて、ベンチに腰かけてぼーっとしていたら、その人がこちらに近づいてくる。
なんだろうと思っていたら、突然目の前に一本の草を差し出された。
よく見ると四葉のクローバーだった。
「わーうれしいいただいていいの?せっかく見つけたのに」というと、「いいんですよ私は何本か持っているから」という。「ほんとにいいんですか?」
「いいんですよ。嬉しいわ、有難う。」久しぶりの四葉のクローバーを見た。

幸せが来ると言われるよつばのクローバーを頂いたことで、幸せを分けてもらったような気がした。
帰って夫に見せてから文庫本に挟んでおいた。
その後日談
数日してまたその女性にあったのでお礼を言った。
その日いつものように体操をしていると
「奥さんちょっと」と声をかけられた。
「なんですか?」
「こっちに来てみて」
ほらと指さす方を見ると、四葉のクローバーが生えていた。
「ご自分で採った方がいいかと思って」
「有難うございます。うれしい」
久しぶりに自分で採った、またまたおすそ分け
その後日談
一人で四葉のクローバー発見
文庫本にはクローバーが何本か挟まっている。
私もおすそわけしなくちゃ!

春です!

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04 /12 2019
毎年お歳暮に花やさんから蘭の鉢植えを頂く。
蘭の花は冬から2月3月ころまできれいに咲き続けてくれる。

花が終わると、つれない持ち主は今までのことを忘れたように、軒下にほっぽらかしておく。

それでも、夏の暑さには夫が水をやってくれていた。
寒く成ってからも室内に入れてやるでもなく置かれていたシンビジウムの鉢。

ところが11月くらいになるとなんと3鉢につぼみが付き始めた。
雪の日にもそのままその冷遇に負けるでもなく,一鉢5本位の花が付いて、2月には次々とエンジの花、黄色の花、ピンクの花とお寺の玄関、廊下で咲いています。

現金な持ち主は朝夕ににこにこ見ています。

そんなことがあって、蘭も咲くんだと認識し、今年花をつけなかった蘭の鉢、君子蘭の鉢も株分けをしてみたら、なんと15年も花をつけなかったのに今朝見たら可愛い花芽をつけているではありませんか。

2年くらい前、らん展で2鉢1000円位で買った可愛い蘭もささやかに白い花をつけていました。

さくらの花もお寺には山桜2本八重桜が咲いているので、毎日が花見。

季節が早いとは思うのですが、つつじも咲き始めました。
春の訪れとともに水仙、椿、梅、蘇芳、桜、かりん、菫待っていたように、時を感じて咲きだします。

自然のまわっていく力、持っている力を感じます。
このようにしてして、四季も順番に回っていきそうです。

孫たちも春の季節を迎えて、まぶしい位の若々しさで生き生きしています。
生きているものは美しく、自然に目が行きます。
まぶしいなあ!

門徒新年会

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02 /18 2019
 1月19日恒例の門徒さんとの新年会がありました。
しばらくは本堂でお勤めをして、ご挨拶、懇親会という日程でしたが、数年前から法話を頂くようになりました。

今年のご法話は住職の親しくさせていただいている、江東区の真宗大谷派のお寺、因速寺の武田定史氏でした。
武田さんは住職のご縁で明福寺の報恩講・開創400年の記念法要の時、また昨年の住職継承法要の折りにも出仕していただきました。
 声明のお勉強もなさっておられる方です。報恩講ではお勤めの後で御俗姓という、親鸞聖人のご生涯を読み上げるものがあるのですが、それを読み上げていただきました。その調子、力のこもった声にうたれました。その迫力に聞き入り、頭が下がりました。
実は今回もそのお声をお聞きしたかったのですがお風邪ということで残念でした。

この日のご法話では、最初に次の様な言葉を話されました。

聴聞の心得
一、この度のこのご縁は、初事と思うべし
一、この度のこのご縁は、我一人のためと思うべし
一、この度の子のご縁は、今生最期と思うべし
というものでした。

 懇親会の準備をしていてよく聞き取れなかったので、あとでご本人に書いていただきました。
心に残りました。ご法話、なんとなく聞いていましたがこの覚悟で聞いたらおろそかにはできません。
初めてで、私の為に、これが最後の時間と思ったら真剣にならざるを得ません。
さて、そのお話の内容は後日テープを聞いてゆっくり味わいたいと思います。

 今朝、ご本堂の寒い中、一人でお参りして、新年会の法話の事を思い出していたらこんなことが浮かびました。
南無阿弥陀仏を称える時、お母さんと幼子が母を呼ぶように、母に対するように、そのままゆだねる。
確かこんなことを話なされたかなと思います。

 ご法話に対してだけでなく、今日のこの時、この人に対する時、初事であり、我一人の為であり、今生最期と思って対処していきたいと思います。
 こんなふうに思うようになったのはやはり年を重ねて、残り少なくなってきたと感じているからです。

 それでも30分前、些細なことで夫に嫌味を言ってしまった自分がいました。結婚以来40数年、その何倍も嫌味を言われてよいことを重ねてきた自分であると気づきました。

中々一筋縄ではいかぬ人間だなあ。今後に期待します。

東京の雪

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02 /11 2019

雪にも色々ある。
粉雪、ボタンゆき、雨ゆき?北陸や北海道、千葉は大雪警報。
天気予報で見ていると、なぜか東京付近だけ雨雲、雪雲のかかっていないことがよくある。

私の生まれは岩手県の盛岡だが、長女の出産で冬を盛岡で過ごして以来、長く寒いところで過ごしたことがない。
その時に盛岡に訪ねてきた夫は頬っぺたがさされるように痛いと言っていた。
毎冬一度は膝上までの雪。小学校へ通う朝は、雪道に一本の歩いた後の細い道。あちこち寄り道をして、長靴の足先もかじかんでしまう、毛糸の手袋も雪が固まっている。
結婚して東京に来たときお正月に青空、雲一つないということが驚きだった。
今までのイメージは、冬は灰いろの空で、どこからか雪が落ちてくる。
積もったら、屋根から粉雪が風で吹きあれる。
昼にちょっと溶けかかった雪道は夜のうちにすっかり凍ってアイススケート場のようだ。道がデロンデロンになる。

こちらで暮らして40年以上になると、寒さがおっくうになって、寒いところには岩手に限らず行こうという気持ちが起きない。
昨日近くの公園に寒いが、梅を見に行った。
しばらく行ってなかったら、紅梅は見ごろ白梅もちらほらきれいに咲いていた。
毎年思うことだが、ごつごつした幹から小さなつぼみが出ているのは何とも不思議な気持ちがする。
見上げるともう桜の古木にも赤い小さな芽が膨らんでいる。
季節はいつもその時を忘れていない。
すごいなあと思う。

今年はイノシシ年で私は年女。
12歳、24歳、36歳、48歳、60歳72歳。数えてみると6サイクル。その時々の自分を思い出してみると、それぞれの自分がいた。
夢があったのか、思うような日々であったのかは疑問。
それでもここまで生きてきたことはありがたい、有る事難し毎日だった。

ナカネタカコ

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