親鸞聖人に人生を学ぶ講座Ⅲ
親鸞聖人に人生を学ぶ講座Ⅲ
この聞法会が明日ある。
実は9月4日土曜日に第1回目があったので明日は2回目。
この1月の間、講師の青樹師の話された一言がずっと頭から離れなかった。
それは、先生のお母様が最後に話された「潤ちゃん、身の置き所がなくなったわ」という言葉。
死を前にして身のおきどころがないという事を息子さんに話されたのだ。
63歳を目前にして、自分のことに置き換えていた。
今、楽しいこと、悔しいこと、嬉しいこと、悲しいこと様々な感情に日替わり、時間刻みで動かされている自分の生活。
自分で死が迫っていて逃れられないと知ったとき、身の置き所がない。
どうしてよいかわからぬまま時間が電波時計が数字を変えていくように単調に刻まれていくのだろう。
身一つで一人で逝かなければならない。
人間として生まれて、誰にでも決まっていることは死ぬことだけなのだ。
このお話しを聞いて前後して自分の体調が悪くなり、検査をして結果を待つまでの不安な気持ち。
結果は経過観察という事ではあったけれど、身の置き所がないのだ。
確かなことはない、全てのものは常ではない。
そのことが受け入れられれば良いのだが、自分だけはいつも健康で、暮らしに困らず、人ともそれなりに付き合っていくことが続くと思ってしまう・・・。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常のひびきあり・・・
だから、2回目のお話しが楽しみです。
この聞法会が明日ある。
実は9月4日土曜日に第1回目があったので明日は2回目。
この1月の間、講師の青樹師の話された一言がずっと頭から離れなかった。
それは、先生のお母様が最後に話された「潤ちゃん、身の置き所がなくなったわ」という言葉。
死を前にして身のおきどころがないという事を息子さんに話されたのだ。
63歳を目前にして、自分のことに置き換えていた。
今、楽しいこと、悔しいこと、嬉しいこと、悲しいこと様々な感情に日替わり、時間刻みで動かされている自分の生活。
自分で死が迫っていて逃れられないと知ったとき、身の置き所がない。
どうしてよいかわからぬまま時間が電波時計が数字を変えていくように単調に刻まれていくのだろう。
身一つで一人で逝かなければならない。
人間として生まれて、誰にでも決まっていることは死ぬことだけなのだ。
このお話しを聞いて前後して自分の体調が悪くなり、検査をして結果を待つまでの不安な気持ち。
結果は経過観察という事ではあったけれど、身の置き所がないのだ。
確かなことはない、全てのものは常ではない。
そのことが受け入れられれば良いのだが、自分だけはいつも健康で、暮らしに困らず、人ともそれなりに付き合っていくことが続くと思ってしまう・・・。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常のひびきあり・・・
だから、2回目のお話しが楽しみです。