老いるについて

明福寺が属している真宗大谷派、そして東京教区、その東京教区の首都圏また近隣の県が中心としている真宗会館が、東京練馬にある。
前置きが長いが、そこで発行しているサンガという教化の新聞がある。
その中で、医師の方がしばらくの間「老いるについて」というコラムを書かれていた。
医師の立場から様ざまな老いについての話題であった。

実はこの題名については最初から違和感があった。
まあ普通は「老いについて」だろう。
それが最近そうかと納得した。
若い時は、若い目線で、そして客観的に老いにつて語ることができる。
しかし老いていくと実感したものにとっては、老いは「老いる」なのだ。
最近お寺のホームページがリニューアルされ以前の通り坊守日記につながってはいないが、最初のころ「60歳になる坊守の思うことを読んでいただけたら幸いです」と書いていたのを久しぶりに見た。
あれから40年のコント キミマロではないが、あれから6年もたったら、やはり感じることも変化している。
私自身が老いるまっただ中にいるからだ。
この先自分がどのように老いるのか、今のところ興味ぶかい。
こう思えるのはまだ老いの入り口だからかもしれない。