絆
東日本大震災から9年もたった。
その時被災者を案じて、新聞やテレビなどで絆という言葉がよく目についた。
さて今コロナの蔓延で私の身のまわりでも大きな変化があった、そして今日からは緊急事態宣言の解除となった。
けれどもコロナウイルスは日本の中で世界の中で消えたわけではない。
この3か月のステイホームが刷り込まれているので、外に出たり、バスや電車に乗る、映画や美術館を心配しながら見る、それは大丈夫なのかとなかなか外出する気分にはならない。
外食をして、仕切りの中で横並びで、話を交わしたりすることが楽しいとは思えない。
学校や仕事であるならばそれでも行くだろうが、何しろ絶対行かなければ、やらなければということがないのでヨッツという気分にはならないのだ。
そういう状況でテレワークやら、パソコンでの会議や友人と飲み会をしたりする気分はどういうものだろう。その世界には用事もないというか、そうする相手もいなかったということに気づく。
そうなると、私と世間の絆はとても薄く、無いに等しいような気がしてくる。
そんな社会とのつながり、絆であった。
この数か月お話したのはほぼ身内、親戚。
人とそんな付き合い方をしてきたのだ。
ここまで書いて前を読んでみたらとても否定的な字句が並んでいた。
前向きになれるのはいつなんだろう。
絆という意味がよくつかわれていたころ、意味を調べたことがあった。
人と人との断つことのできないつながり、離れがたい結びつき、馬などの動物をつないでおく綱とある。
さらにつなぎとめて自由を束縛するという意外な意味もあった。
私をつなぎとめて、離れがたく、そして自由を束縛しているのは夫であり、家族であり、お寺というものであった。