猛暑、猛暑
毎日暑い、日中は必要以外、外出は控えたい。
しかしそうなると1日に一歩も外に出ないことになったりする。
それは健康上、および美容上まずい。
ということで朝、目が覚めて動けそうなときは、近所の公園か三田付近を歩くことにしている。

「毎年、上野公園の池に咲いている蓮を見に行ってるんじゃないの」と住職にいわれてそうだ、明日行ってみようかと前夜に決定。
翌朝、結局家を出て田町から京浜東北線に乗ったのが6時半。
上野に着いて、相当日が昇って暑くなってきたが、不忍池は結構の人で、散歩、ランニング、写真機持参など大抵はおじさんおばさんだ。

蓮の花はピンクの花びら、中心の黄色、お日様を浴びて大きな蓮葉に揺れていた。
ああ、いつものようにきれいだ。

一人で見ているとおじさんが額入り写真を手に話しかけてきた。
自作の写真を見せたいようだ。確かに青空のもとたくさんの紅色の蓮がきれいだ。

また歩いていくと数人の大きなカメラ持参の男の人たちが「今日はあまりいい写真が撮れなかった」やら「去年はどうだった・・」など写真談義に花が咲いている。

今日も結構きれいじゃないの、などと池の周りを花を見ながら歩く。

蓮の花のいけばなもあって、昔生けたことを思い出した。
蓮葉とても水揚げが悪いので専用の霧吹きのようなものを使って茎に水を押し込む。
そして一瓶の花の中に花の一生というか世界観があると母から教わった。
大きく咲こうとしている花、硬いつぼみ、巻いた葉、大きく広がった葉、そして咲き終わって実になって枯れているもの、それらを一つの花の中に決まったように生ける。
お生花(おしょうか)という古典的なものだ。
そして蓮の花はせっかく生けても1日で美しさがなくなってしまう。

花の中にも人が見れば、さまざまな思いがあるのだ。
池の周りを歩くとさまざまな蓮があった。
まだつぼみ、誇らしく色鮮やかな花、咲ききってもう実になっているもの。
泥水の中から蓮の花生が始まり、そして終わる。

一回りするころにはさんさんと日差しが強くなってきた。
もう帰りたいと、電車に乗った。
家に帰ったら8時半、今日の活動はもうスタミナ切れ。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。