あとみよそわか

先日、春休みで住職と2人になった
朝、普通は副住職が門を開け、本堂の戸をあけているのだが、今日は開けなくちゃそう思って本堂を開けて、客用台所でやかんに水を入れて火にかける。
外に出て門を開ける。新聞を取り家に入った。
そこで台所によるのを忘れたのだ。そして数十分住職が本堂に行くときに発見。やかんは真っ赤
になっていた。火を止めてくれた。

それからしばらくして玄関のところに行ったときはっと思い出した。
やかんの水。火事になるところだった。
今までも何回かあったが真っ赤になるところまではいかずに消した。
もうがっかり、こんなことをするようになった。
今までの教訓で火をつけてちょっと離れる時は輪ゴムを腕にはめていたのだがそれをしなかった。

あとみよそわか、あとみよそわかこの言葉を久しぶりに思い出した。
明治期の作家幸田露伴の娘幸田文の文章に載っていた。露伴は母が死に、継母とうまくゆかない文に家事全般を男手で掃除、はたきのかけ方から箒の手入れ、ふき掃除の仕方、障子の張替まで厳しく教える。そして終わったと思ったとき「あとみよそわか、あとみよそわか」と呪文のようなことをいうことを教える。
「あとみよそわか」の「あとみよ」は「跡を見て、もう一度確認せよ」、「そわか」は成就を意味する梵語だという。江戸時代の本にも「後看世蘇和歌」とあるので露伴の造語ではなく、露伴の教養を示すものとあった。単に「掃除が終わったらもう一度あとをみなさい」というのではなく、徹底的に物から学んだあとでさらに学び残しがないか、もう一度確認しなさい、といった厳しい教えのようだ。
今度の失敗もそうだし、本堂の電気の消し忘れ、出入口のとじまりなどが近々のことではある。
さらにご門徒のご法事の後先。
家族とのつながりもろもろ・・・・あとみよそわか なのだ。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。