永代経法要28.4.24


4月24日は永代経でした。

お天気がどうかと思いましたが、みなさんの見える頃にはお天気になりました。
お昼は例年のタケノコのお弁当を前の日からご門徒女性方に作っていただいたものです。
音響、司会、受付、看板や幕の用意等たくさんの方のご協力がありました。ありがとうございました。

今日の法要は阿弥陀経、ご和讃は十方微塵世界の・・というものでした。
ご法話の講師は小柴隆幸さんという浄土真宗本願寺派・西の隆照寺の住職さんでした。
実は31歳という副住職よりも若い方ですが、とても落ち着いた感じでお話もとても印象的なものでした。
お西の本願寺ではお話をする人を布教使というのですが、お話をみんなの前でするためにはそのための勉強というかやり方が決まっているとのことでした。

永代経は大分前のこと?ではないのですが、ほとんど忘れましたが、心に残ったことがありました。
今日の法要のご和讃のお話です。

  十方微塵世界の
  念仏の衆生をみそなはし
  摂取してすてざれば
  阿弥陀となづけたてまつる

というものです
此の字句は知ってはいましたが

 この世の中に生きている私たち
 念仏を申す私たちをしっかり見てますよ
 こっちにおいで、みんな捨てることはないよ
 だから阿弥陀さんて言うんだよ おいでよ

と、私は受け取りました。今までこの和讃の意味を考えたことがありませんでした。
言葉として、しょっちゅう出てくるので知っていただけでした。
初めて意味が心に響いてきました。
南無はこういう意味で阿弥陀はこういう意味でといわれてもその場で納得しても忘れてしまいます。

阿弥陀経の意味、正信偈は漢文で書かれているので、私は、音としてやり過ごしてしまいがちです。
親鸞聖人の書かれたご和讃はかな交じりのうたですからすっと心に入ってきます。
赤本・正信偈の後ろの和讃を中身を感じながらよみたいと思いました。
法話の後は、小柴さんと副住職の西と東の違い、西本願寺と東本願寺の成り立ち、お経の読み方の違い、等興味深いものでした。
個人的には同じ親鸞さんの教えがところによって変わってくるのは、時間と人によるのでしょうか、などと思います。





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