広島・夏

今年の夏、広島を旅した。

毎年のように8月6日はNHKの生中継で記念式典を見、そして黙祷をしている。

しかしそれは本物を現場で見ているわけではないから、そーかというところで止まってしまう。
一度いってみたいとずっと思っていたことが今回実現した。

8月30日広島はむしむしするような暑さであった。

ホテルを出て近くの広島城に行く。

平城というのだろうか復元された天守閣と数棟のお城の建物。
そして大きな石で残っている建物の礎石が数個あった。
広島にお城があるという事も不勉強で知らず、更にここには日清戦争の頃の大本営が置かれ、明治天皇も7ヶ月も滞在していたとの看板があった。
軍部の中枢が置かれていたらしいと感じた。そんなこともあってアメリカは広島を原爆投下の目標に選んだのだろうか。

暑い町を歩いて原爆ドームの方向に歩いていくと川岸に出た、熱い熱いと被災者が飛び込んだ川だろうか。

あいにく水も持たずに歩いていたので、暑さが身にこたえる。
しかし8月6日はこんなものではなかったに違いない。

相生橋というところに出ると、もうドームが見えていた。
テレビで何度も見ていたものだが、目の前にすると何も言葉が出ない。

そして後ろのほうに建物の敷地が以外な程広く、余り紹介されない壊れた建物が鉄芯も曲がったまま、瓦礫もそのままになっていた。当時そこで働いていた人たちの殉職の碑がひっそりと立っており、それは殆どが女性の名前であった。
いつも式典がおこなわれる平和記念公園・原爆戦没者慰霊碑で手をわせる。

平和記念資料館はその後方にあり、様々な資料が展示してあった。
お母さんの背中でなくなった子供のパンツ、折れ曲がって焼死された方の体の間、胸のところから出てきたアルミのお弁当箱の炭となったご飯・・・・。

こんなことが65年前に現実にあった。

その母であり子であり孫である人たちに、突然起こったことなのだ。

なんでもない普通の暮らしを今させてもらっている私、その前に様々な日本の歴史があり、それを礎として今の日本があるのだと思う。

3.11の東日本大震災・福島の原発事故どのように考えていけばよいのだろうか・・・・。


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