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掲示板

2018.07.09.15:31

お盆も近くなっていよいよ夏。
朝の散歩も早起きしないとちょっと出るのがおっくうになる、けれども健康の為、体形の為何とか出るようにしている。
お寺の前はかなりの坂道だが公園に直行するときは、往復この坂道を汗をかいてあえいでいる。 
帰り道にはあるお寺の掲示板が目に入る。
  あたり前が
    ありがたい
と書いてある。
最初の日に感じたことは、あたり前って何だろう。大きな出来事、困りごともなく平穏なことだろうか。そもそも人によってあたり前の基準が違うんじゃないかと思った。ある人に取って周りから見たら、大変そうと思うことも、その人にとってあたり前の毎日かもしれない。
そうしてみると変化しない毎日がありがたいのだろうか。それはちょっと変。

最近多く読まれている「君たちはどう生きるか」吉野源三郎著という本を読んだ方はおられるだろうか。
実は私は読んではいないがテレビで紹介されたので大体のあらすじは承知している。
1973年に発行されたものだが最近読みやすい形の冊子と漫画になって子供たちにも読まれているらしい。

15歳中学生のコペル君と父親のいない彼を見守るおじさんのやり取りが描かれる。

 ・・・おじさんのノートには「ありがたい」という言葉を考えてみろとある。「ありがたい」とは、「感謝すべきことだ」とか「お礼をいうだけの価値がある」とかいう意味で使われているが、この言葉のもとの意味は、「そうあることがむずかしい」という意味であり、「滅多にあることじゃあない」という意味だと書いてある。自分の受けている幸せが、めったにあることじゃあないと思えばこそ、われわれは、それに感謝する気持ちになるのだと。

 そうですね。
あたり前がありがたい・・という言葉の中に、あたり前はそう有ることが難い。

今日も生きて、明日も当然のように生きているつもり。

普通のこと、あってあたり前の毎日は、有ることが難いから有難い。

平成30年5月

2018.06.26.22:17


さて5月はいろんなことがありました。
4月の永代経にお参りの方々に住職を交代します。とお知らせしました。
そして副住職が京都真宗本廟に行き、住職継承の研修を受けてまいりました。2名の明福寺の役員の方も同行していただきました。
3日間の研修と最終日には住職の辞令を頂き、東本願寺の大師堂で親鸞聖人の月命日のお勤めに出仕してきました。
30年も前、9歳の夏休みに京都ご本山に行き、お得度を受けました。頭をくりくりに剃って、黒の衣をつけ一人のお坊さんになったのでした。今年彼は39歳です。30年の年月がありました。
お寺にも、私たち家族にも、決して平坦な道ではありませんでした。ご門徒の皆さんの支えで何とか今があると思っています。
お寺の長男として生まれ幼い時から、そのように仕向けてきたとも言えますし、またある時点からお寺をついでいこうと思ってくれたのだと思います。

そして京都から帰って、お朝事のお勤めを7時と決めて、皆さんにもお参りしていただきたいとの願いから、朝、ご本堂の扉を開けてどなたでもお参りしていただく用意をするようになりました。
お参りしているのは今のところ家族ですが、小さな孫と私がお参りする時間を作ってくれたことに感謝しています。
正信偈を一緒にお勤めし、御文、歎異抄の1章を読み口語訳を読んでくれます。
その後、新住職が思うところをお話します。それに続いて疑問に思っていることを尋ねたり、その時思った事をみんなが話します。
先日の朝のご和讃は        訳文
 清風寳樹をふくときは     そよ風木ずゑふくときは
  いつつの音聲いだしつつ   いつつの音聲いだしつつ
  宮商和して自然なり     しらべ和みて自然なる
  清浄勲を禮すべし      そのいさをしをたたふべし
このご和讃は宮商(きゅうしょう)という2つの音色が合わされて、それが自然であるというのです。

この御和讃はには思い出があって、お聞きしているとその時のことが思い出されました。
ある先生の本を読んでいたら、友人の息子の結婚のときに贈ったという言葉の中に、このご和讃があったのです。
まったく違った人生を送ってきた二人が一緒に暮らしていくとき様々な音を合わせて和していくということ。

娘と息子の結婚式をお寺で挙げたとき、山門の掲示板にこの和讃を書きました。

このお寺に住んで、お寺の仕事をして、前住職にとっては47年、私にとっては42年。
色々なことがありました。
これから心静かに暮らしていきたいと願っています。





春の料理Ⅰ

2018.05.01.23:43

私はてんぷらが好き。
けれども太る。
それはおいしいから山ほど食べてしまうから。
だから作らない。
三題噺のようだが、主人と二人分の食事の用意が日常だから、どうしても食べたいとき揚げ物は、ローソン、てんや、またデパ地下的な美味しいてんぷらやなどで少し買う。
けれどもこのおきてを破る季節が春なのだ。
春の訪れとともにお店に顔を出すフキノトウ、そしてタラの芽、これを近所の方から田舎から送ってきたからとお裾分けしてもらったり、八百屋の店先に安く出ているときは、どんなに疲れて帰る途中でもてんぷら粉と一緒に買って帰る。
ご飯を炊いて、てんぷらの用意。
鉄鍋になみなみと油を入れて火をつける。
小鍋にてんぷら粉、水を菜箸でかき混ぜ水気を切ったフキノトウを入れる、次々と揚がる。
揚げたてに、塩をつけて食べる。なんとうまい。
たまのてんぷらだから、油を足して家にあるサツマイモやシイタケ、ピーマン、人参、玉ねぎに桜エビ。
二人分なのに大皿に3枚?多いけど結構食べて、余ったら翌日も天丼にする。
今年は「またてんぷら「」と主人に言われながら、3回もあげました。
山菜の季節も終わりました。
また来春まで多分揚げたてはないでしょう。
油のボトルを2本も使って、これが体に染みわたると思うとおっそろしい。
でもフキノトウ(盛岡ではなぜかバッケというのですが)とタラの芽はいつも私を誘ってきます。

4月25日雨

2018.04.25.15:00


寺内の山桜、続いて八重桜、いつもより早い、サツキ、つつじ、みんな盛りを過ぎて雨に打たれています。
雨の中、いつの間に、アジサイが次、私ですとばかり葉を大きくさせている。

久しぶりの雨に、どこかに出かける選択肢も、今日やらなければというものもなく(その気になれば、かたずけや、掃除など満載ですが)やる気もおこらず。
まず新聞を読み、メールを見る、そして兄のブログを読む。
兄には最近お寺の法話をお願いしている。はじめは明福寺の開創400年法要、翌年その次の報恩講の2回、今年も盂蘭盆会の法話を依頼。
そんなことで、「お兄さんの法話はよかった」、「あんちゃんの話は今度いつ」と声をかけてくださる門徒さんがいるから、妹としてはうれしい。
ところでその兄がブログを始めた。もちろん実名は出てないし、どんなところから読者が行くのかと思うのだが、「montapapa 私の終活」という題なのでぜひ見てください。 http://montapapa.seesaa.net/article/458999371.html
たまに奥さんの文章も載っています。もんたパパという名前はもんたという名前の猫を飼っているからのようです。
お互いに年を重ねて、盛岡と東京、たびたび会うという機会もないけれど、こんな事を思って暮らしているんだ、ということがわかります。
7月13日は明福寺の盂蘭盆会法要が勤まります。松見宣成師のご法話をどうぞご一緒にお聞きしましょう。

永代経法要29.4.30

2018.04.25.14:51


4月30日は永代経法要です。
その準備として23日におみがき、お掃除会を開きました。
ご本堂の仏具をみんなで磨きます。アッという間にピカピカになりました。
その後本堂回りや庫裡客殿の窓ガラスをふいていただきました。
皆さん有難うございました。
その後みんなでお昼を頂いて、よもやま話に花が咲きました。
そのよもやま話がそれぞれのお人柄が出て、楽しい時間でした。そんな話を遠慮しないで話せる会もいいですね。

そして今度の土曜日、4月30日の永代経になります。
今年はご法話の講師に港区芝の了善寺の百々海真ご住職をお願いしております。
昨年に続いてのお話です。
昨年のお話を聞いてそうかと思うことがありました。

仏様は私を照らしてくださる。
そのほとけは私の周りに居られる。そしてそのことに自分自身が照らし出されて来る。そして私をもう一人の自分が見ることができる。
北陸の地方では仏法に遇うことを「お照らしにあずかる」というとお聞きした。

それは亡くなった両親、私の周りにいる、住職であり、副住職の家族みんな、門徒さん達、その人たちが仏となって私を照らしている。照らされている。
百々海師のお話からいつも思うことは「お照らしにあずかっている」ということだ。

昨年、師は、永代経の意味を、「永代正法護持相続経」「永代にわたって伝えられてきた正しい御法(おみのり)を自ら護持し、未来に向かって相続する」と話されました。
だから、今日の法要は、先祖代々受け止めてきた、「正法」を「永代」にわたり「護持相続」する私たち自身の相互確認の場。

永代経の意味を考えながら、お寺に足を運び、一日を過ごしていただけたらと思います。
お待ちしています。

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