29年秋・報恩講お勤めしました


平成29年10月22日、報恩講お勤めしました。
今年も無事お勤めできました。

住職と結婚して41年になります。
お寺を出ていた時期もありますが、この40年の間、初めて本堂でお参りすることができました。ややもすると朝お参りしただけで、当日のさまざまなことに追われてお焼香することもなかったこともたびたび。

今年お参りしたこと、それには次のさまざまな理由がありました。
今年の報恩講は3月に15世住職中根流情師の100回忌に当たっておりその法要も合わせてお勤めするということでした。
副住職の流情師の既に発行されている「法話のはなし」の中からのお話。住職からは流情師の人となり、業績についてのお話が最初にありました。
次に、400年法要から今年で3年、ご法話をお願いしている、松見宣成師(坊守の実兄)の法話も初めて生でじっくりお聞きできました。この2年の法要でお話を聞きましたが、その次を聞きたいとリクエストしました。

また、兄が真宗の教えについて了解したことの原稿がある事を知り、この法要に合わせて出版し、「阿弥陀さんこんにちは」という冊子を皆さんにお配りすることができました。
私が真宗の寺の娘として生まれ、また明福寺の坊守として暮らしていく中でぼんやり疑問に思っていたことがあります。この本を読んで疑問に向き合うことができ、見えてきたものがあるような気がします。(見えましたということが断言できないのがつらいとこですが)。ちなみに表紙は桃色ですが、何色にするか決める時、ふと、兄が大学を卒業したころだったでしょうか、初めて作って法要に出たときにつけていたお衣の色を思い出しました。それが、この色でした。是非読んでいただきたいと思います。

次に、音楽法要をお勤めしました。
正式には形式があるのですが、明福寺方式でお参りの方みんなで歌おうということでした。
常の法要でも真宗宗歌と恩徳讃を歌っていますので、そこに2曲プラスして、三帰依、回向を春頃から今までの法要や法座の折りに練習してきました。
リハーサルもなしでお参りのご法中、ご門徒も初めての進行でしたがスムースにお勤めできたと思います。
これには准坊守がピアノの専門家であるということも大きく、練習できました。
この法要に皆さんと一緒に歌いたい、お参りしたいという思いでした。

あいにくの台風の雨の中で、「行くつもりでしたが、足元が・・・」というお電話もいただき、私だってこんな雨の外に行きたくないよね、などとお参りは少ないかもと思っていましたが、遠くは名古屋、伊東など、またタクシーがなかなか来なくてと濡れながら来て下さったり本当にありがとうございました。
また例年のことですが、進行の打合せ、会場の設営、お斎(お弁当)の用意に前日からきてくださったみなさんいつもありがとうございます。
年なりにつかれましたが、皆さんおかげで報恩講をお勤めできました事、感謝しています。
準備もそろそろ次世代に任せて、お参りしたいと思います。

東京サンガ9

この名前はお寺関係の者が集まって仏教讃歌を練習している合唱の会で、参加者は寺の坊守が多い。
元々、真宗大谷派には仏教讃歌はあって、私の育った寺でも父が進取の気風があったのか、小学校の音楽の先生に頼んで夜に10人ほどで仏教讃歌の練習をしていた。小学生か中学生くらいの私も駆り出されて歌っていたことを覚えている。
仏教讃歌は歌う人は歌えるというくらいであったが、今はお寺の法話の会など、行事の初めに真宗宗歌、終わりに恩徳讃を歌っている。
それが親鸞聖人750回御遠忌の法要などでご本山、真宗本廟でも音楽法要が盛んにお勤めされるようになった。
又、東京教区という1都8県のお寺の集まりの750回忌法要でも仏教讃歌が法要に取り入れられ、この団体・東京サンガ9もしっかりとした形をとって活動を始めた。
前振りが長くなったが、其の讃歌の中に回向という曲がある。回向というのはお勤めの最後に唱和する以下の文言だ。

願似此功徳
 平等施一切
 同発菩提心
 往生安楽国
正信偈の後に此の回向文で終わる。
それが、音楽法要のために和訳され歌となっている。
 願わくは一切世界の人々と
 この出会いの喜びを
 みな平等に分かち合い
 ともに仏になる心 起こして
 阿弥陀みほとけの安楽国に生れ
 生きてはたらく身とならん
と安原晃氏によって和訳された。
この歌を初めて聞いた時旋律の美しさと、この歌詞にうたれた。
いつもなんとなく正信偈の最後に称えるというだけの意識であった。

そうかお勤めの心こうなんだと私は納得した。

この歌を明福寺でも法要の折りに練習始めた。

さてこの歌の解釈だが最後の一行、生きてはたらく身とならん
私は生きてはたらく身ということを、自分自身だと思っていた。
仏教と言えば葬式、お墓、法事、など死を連想させることが多い。
仏の教えはそれだけではない、共に仏になる心を持って、私があなたが、生きて働く身となりましょうというように解釈していた。
言い換えたら日常生活を日々を生きていきましょう。
と思っていたのだが先日4月の永代経法要にお話していただいた百々海真師のお話を聞いていたらどうもそうではないらしい。
仏はいろいろな、無数の姿となって私たちにせまっている。
それは毎日の生活の中でうるさい親父であったり、いやなお客であったり、姑であったりして、其のみんなが私にとっての仏であるというお話だったと思う。そこに照らし出された自分の姿が見える。
回向はほとけの側からの呼びかけであって、わたくしの側ではない。
いかにいい加減に読み続けていたのかちょっとやるせない。
このことについてはどう解釈するのかいまだによくわかってはいない。
お話を聞くこと、もっと大事にしたいと思う。

終活について

旧盆も済み、夏休みも後10日余り。
暑さ続きの7月に比べ此のところ、雨の日が続き、空気が湿っぽい。
暑いと暑いと文句を言い、雨が続くとまた文句が出る。
都合の良い天気と、出来事を望んで、自分勝手な毎日です。
お寺にいたら、清廉潔白で仏さまのことばかり考えているかと思うとさにあらず。
不平不満、自分の気持ちを誰かに聞いてもらいたかったり、悩んだりの毎日です。

先日、新聞の1面の下の本の広告に目が留まった。
それは死んだあと家族、子供たちに迷惑をかけないように終活をするための本だ。

親の葬式をするのは迷惑なんだろうか、というのがまず疑問。

そうですと言われたらもう送られる順番になった者としたら一言もない。

自分ならと振り返ってみると実家の両親は毎日の世話、そして最後のお世話を兄夫婦にしてもらい、都合のいい時だけ都合のいい娘であった。
このお寺の前坊守の葬儀は住職とお寺のみんなで勤めた。

まあ、面倒には違いない。
お金もかかる。
かつては家族関係がもっと濃かったから、関係も良いにつけ、悪しきにつけもっと具体的な人を送るという気持ちがあった。
自分をこの世に送りだしてくれた両親であり、家族であったから、しなければという気持ちであって、迷惑とは思っていない。
育ててくれた時のさまざまな思いがあるからでもあるし、順番でもあるからだ。

さあ、これからのこと、70歳前になると俄然迫ってきた感がある。

孫の成人式まで持つかなあなどとひそかに思ったりする。
死後のことまで自分の差配でやらなくてもいいかなあ。
その時、その役をやってくれる人にお任せするしかないです。
死んでまで口出しはできませんね。

阿弥陀さんはつかれている?

我が家の3人目の孫はお姉ちゃんたちが2人小学校へいったあと、私たちの部屋へ良く来てくれます。
お話も上手になり、お姉ちゃんたちの真似をして、おやおやこんなことを言うようになったと思うこともしばしばです。

私が本堂でお花の水を変えたり、お参りをしていると、ばあばはいと言って、お焼香のところにかけてあるお念珠を渡してくれます。

小さな手にお念珠をかけて椅子にちょこんと座り一緒に手を合わせています。

今朝のこと、「仏さんは疲れているね」というのです。
「なぜ」と尋ねると、「だっていつも立って椅子がないから」というのです。「確かにいつでも立っているよね、つかれるかも」と言ってはみたものの・・・・、本堂やいろんなところでああ疲れたと言ってしょっちゅう椅子に座る私を見ているからでしょうか。

なぜうちの阿弥陀様は立っているのかしら、こちらに向かって歩みだそうとしているのかしら。

まだまだ心底阿弥陀さんの正体がわからない、困ったことがあるとご本堂でそのことを反芻して、ついつい阿弥陀さんに相談してしまう私のことを、毎日見てしょうがないね、ほんとにいつまでも椅子なしで待っているのは疲れるなんて思っていらっしゃるかもしれません。

毎朝、「阿弥陀さんこんにちは、今日もよろしく、隣にいてください」、と言ってる私を、どうぞ宜しくお願いします。

千葉房総バスツアー

梅雨に入ったと思ったらここ2.3日急に蒸し暑くなりました。
昨年は甲府のご旧跡寺院、萬福寺様をお参りし、その後、塩山市の縁瑞寺様でご法話をお聞きしました。

今回も千葉の勝善寺様のご住職からお話をお聞きしました。
1000年ほど前、天台宗のお寺として創建のお寺で、その後親鸞聖人来られたのがきっかけとなって真宗のお寺になったということです。このお寺には親鸞聖人の伝承があります。それは史実とは言えないが、今まで伝わってきたということは、教えが伝わっているということでした。
後ろに緑豊かな山を控え、竹林にはうぐいすの声が聞こえていました。
東京の車の音と、ビルに囲まれた明福寺とはだいぶ違います。
いろいろな場所で教えが相続されていることを思いました。

お寺近くの道の駅で漁協直営の海鮮丼のお昼。
その後は酒蔵でお酒の試飲、ドイツ村でアジサイを見て、またまたドイツビールとソーセージで盛りあがりました。
初めてご参加の方々もあり、皆さんのご協力とお心遣いを頂き楽しく過ごしました。

お寺のバス旅行らしく、始まりは真宗宗歌。
途中では新しく取り組んでいる、仏教賛歌の「三帰依」、「回向」の2曲を練習しました。帰路では「恩徳讃」でおしまい。
皆さんありがとうございました。